吃豆腐2

  もう30年位前だったと思う、中国映画を初めて見た。映画は、ある農村の米豆腐を売る店先から始まった。寡黙な豆腐屋の夫と綺麗な女将さんが米豆腐を売っていて、大繁盛していた。大勢の男客が、豆腐を食べる中、一人の男が、何やら女将さんに失礼なことを言ったようだった。女将さんは、その男をつっけんどんに扱うが、別の客には豆腐の盛を多くするなど、愛想よく振舞っていた。その豆腐屋の隣に閑古鳥が泣ている国営の食堂があった。責任者が繁盛している店を睨みつけ、嫉妬することから、この物語の展開が始まる。ある場面で、豆腐屋から帰った夫におかみさんが“你今天又去吃豆腐了?”(又、豆腐を食べにいってたんでしょう)と嫉妬していた。それが「芙蓉鎮」と言う映画だった。
この“吃豆腐”の言葉の由来を聞いた時、この「芙蓉鎮」の冒頭の場面が甦ってきました。そして、ひとつの言葉の中にも、多くの歴史や文化や風俗習慣などが含まれる中国語に益々、興味が湧いてきました。ましてや、大連で起こった珍事(22日参照)と合わせ、忘れることの出来ない言葉の一つです。先日の中間試験の口試(スピーチのテスト)でこの映画を取り上げ、話しました。まず、まずの成績でした。

  この「芙蓉鎮」の映画を、もう一度見たくて、中国に来る度に探しましたが、見つかりませんでした。しかし、去年やっと手に入れることが出来ました。そのDVDはたったの8元でした。さっそく、見たところ、私は大きな記憶違いをしていました。モノクロ映画だったと記憶していましたが、実はカラーでした。文化大革命が背景にある、暗いストーリーが、記憶の誤動作を起こしたものと思います。又、私が、初めて見たものは、釈放された二人が早朝の村の石畳を掃除するシーンで映画は終わったのですが、実は、2バージョンあって、今回入手したDVDは、その後も物語が続きました。

特に、この石畳を掃除するシーンは、日本の小津や黒澤の映画に見られる、ノーカット、ノートリミングの技法で、それは、どのシーンを切り取ってもも芸術性のある一枚の絵画であり、斜光に輝く石畳、人物、家並みは、まるでレンブラントの絵画を思わせました。この映画以降、私は中国映画に嵌りました。

映画「芙蓉鎮」の豆腐屋の女将さんに扮したのが大女優 劉暁慶です。初めて見る中国人女優の美しさに当時は魅了されましたが、再度見直すと、さほどではなったです。彼女は一時期、映画界を離れ、大実業家になりましたが、脱税がばれて投獄されました。相手役だった姜 文などの助けによって出獄し、再び映画界に戻りました。彼女はコネクションのあった役人連中を利用して、実業家になりましたが、投獄されたのも、彼等に紅包(賄賂)を充分に渡さなかったからだとも言われています。(很中国) ← とっても中国らしい。  

 この“很”は副詞で、形容詞の前に付き修飾します。 中国は名詞ですから、前に副詞が付くことは文法上ありません。しかし、若い人達は文法を無視した新語をどんどん作るのはどこも同じようです。
相手役の姜文は当時は未だ若く、役柄の性もあって、男の魅力には欠けましたが、その後「紅いコーリャン」 「覇王別姫」 「ジャスミンの花開く」等では演技力が冴え、「赤壁」で、曹操に扮した時は、最高の演技を見せてくれました。
しかし、彼が監督した、「鬼子来了;鬼が来た」はカンヌ映画祭で受賞したとはいえ、最低の映画です。同時に、それに出演した香川照之は最低の日本人、売国奴です。この映画は中国国内で、上映禁止、DVDの発売禁止になっていますが、私にはその訳が、わっか・らへん(←名古屋弁)。かっこうの反日映画なのに・・・・         (日本では、GEOなどでレンタル可です)