涸辙之鲋

 味付けが“きつい”との、ご指摘がありましたので、今日のカテゴリーは「中国語」としておきます。 飽くまでも、どうしても、徹底的に、最後まで、しつこく、今日は「中国語」の学習ブログです。決して「****」ではありません。

 学校は4月30日から5月4日まで連休でした。5月5日から授業が始まりました。L老師に「連休は何をしましたか?」と聞かれ、私は万博に行きましたと答え、会場の様子などを話しました。すると老師から「万博の開催には4000億人民元ものお金が国から出資されています。今、中国西南部では、半年近く続いている大干ばつにより、壊滅的な打撃を受け、多くの人民が苦しんでいます。では、国はこの地区の救済にいくら出資したか知っていますか?」と質問されました。 勿論、誰も知りません。暫くしてL老師は 「1億2千万人民元」と黒板に小さく書いてから、授業を始めました。

「中国語」の学習を始めます。

             涸辙之鲋

  据说,庄子家里很穷。有一次,他去找一位当“监河侯”的朋友借粮。这位朋友不愿意帮助他,却假装一副慷概的样子,说:“好把,等我收得了赋税,就借三百金给你。” 
  庄子听了很生气,说道:“我昨天来的时候,正在路上走着,忽听得路旁有轻轻呼救的声音,回头一看,见车辙里有一条鲋鱼,快要死了。它说 ‘你能不能给我一升半斗的水,救救我的命!’我说:‘ 可以可以,我正要到南方去见吴,越等国的国王,南方水很多,我可以把西江水都引来给你,你说好吗?’ 那鲋鱼说:‘ 现在我急不可待,只求升斗水,让我维持生命,你却这样回答我,岂不是希望我早些进干鱼店去吗!’”
 由于这个故事,后来人们比喻极度穷困,急待救济,就叫“涸辙之鲋” ,例如唐朝李白的诗:“涸辙思流水,浮云失旧居。”请求借钱援助,有人就用“ 斗升之水” 这样的词儿; 感谢救了穷困之急,就说是“幸苏涸辙”。


    轍鮒の急

 庄子の家はとても貧しかった。ある日、役人の友人に食べ物を貸してと頼んだ。するとこの友人は気前の良いふりをして「いいですよ、税金が入ったらすぐ三百金を貸してあげる。」と答えました。

 庄子はこれを聞いて、非常に怒ってこう話しました「昨日ここに来るときに道を歩いていたら、突然道ばたから救いを求める声が聞こえてきたので、振り返ってみると往来の車の通った跡の水溜まりに落ちこんだ、今にも死にそうな鮒いました。鮒は、「私に少しの水を恵んでもらえないでしょうか、どうか助けてください。」と言うのです。そこで、私はちょうど南の方へに行くところです。南の方は水が沢山有るので、川の水を全部引いてきてあげよう」と言いました。すると鮒は、「そんな、待てないぐらい急ぐのに、欲しいのは命を長らえる少しの水だけなのに、そんな返事をするなんて、私が乾物屋にでも早く行けばいいと思っているのでしょう。」と言った。

 その後、人々はひどい貧困で救済を急ぐ事の喩えを、“涸辙之鲋”(轍鮒の急;てっぷのきゅう)と言った。(たとえば、李白は・・・・・・・以下省略・・・・)

 この話は荘子の「外物篇」に出てきます。荘子はご存じのように先秦時代の奇矯で皮肉屋の哲学者でした。私も皮肉屋と言う面では荘子に通ずるところが、多少あるような気がします。これさえなければ、人付き合いも、もっと上手くいくのだが・・・と反省はしますが、これがなければ“私”でないのも事実です。

 ここからは余談ですが、私は若い頃から落語が好きです。一時期、十数題の外題(げだい;上方落語では演目のことを言う)を諳んじることが出来ました。江戸落語に「鮒徳:ふなとく」と言うネタがあります。この“涸辙之鲋”とは内容は違いますが、この話がヒントになったのでは・・・・。又、「鮒徳」から上方落語の「狸賽:たぬさい」へと変化したと勝手に考えています。

以上「中国語」の学習でした。 飽くまでも・・・・・