絲綢裹樹

  歴史は繰り返される、歴史に学ぶことが多い。

  隋王朝の初代皇帝。文帝は、北周を簒奪し、南朝陳を滅ぼして後漢末期以来の中国の大分裂を終息させた。二代目の皇帝 煬帝(ようだい)は、大運河の建設、科挙の施行等、多くの新規事業を実施した。
その上に度重なる戦争に膨大な国富と民力を浪費した結果、各地で民衆の反乱が相次ぎ、ついに、隋は二代で滅びてしまった。 建国からたった37年であった。

 煬帝は隋の都、長安(現在の西安)にやってくる外国の使節団に自国の繁栄ぶりを見せつけるため、使節団が通る道沿いの木々を美しい絹の布で飾った。「絲綢裹樹」とは、そんな煬帝の浪費ぶりを後世に伝えた笑い話だ。

  隋炀帝在历史上也算具大气魄的有为之君,他统一中国、修通运河、西巡张掖、开创科举、开发西域、建立封建行政体系,上述功业只有一件就足以载入史册,为什么历史却给了他差评呢?原来人性都有另一面,炀帝少年成名,造成贪功自傲,急于求成的性格。在他统治期间,开疆拓土的战争不仅消耗了大量的人力物力,又加之修建大运河伤民太重,搞的天怒人怨,反民四起,损及国基,最终二世而亡。最有意思的是,炀帝在“面子问题”,形象工程上大下功夫,许多事情成为后世的笑柄。据载:杨广为了显示华夏富庶,命兵士在马路上以丝绸裹树,客栈款待外国客人,概不收费,并为之不惜倾全国之力。



 今や、北京や上海は世界の大都市と変わらぬ繁栄を見せてはいる。
しかし、その影で、地震、干ばつで苦しむ人民が多くいる中、オリンピック、上海万博が開催された。千数百年たった今、又「絲綢裹樹」を繰り返そうとしているのではないだろうか?