乐不思蜀

午前4時に起き、寮を5時半に出発、途中でコンビニで、パンとおやつ、飲み物を調達、いつもの豚マンを買い、食べながら延安西駅に向かう。駅には乗客も少なく安全検査は実施していない。

ホームに上がるなり地下鉄がくるも、停車しないまま、素通り。何か嫌な予感。駅の時計は6時になるも、まだ地下鉄はこない。その内に便意をもよおし、駅員にトイレの場所を聞くと、改札の外とのこと。出札とは別の出口から出て、用を足し、再びホームに出る。電光掲示板が稼動しており、4号線はあと20分で到着とある。結局、地下鉄に乗れたのは、6時半になってしまった。后灘駅下車、8号入場口に向かう。

  一般道路から、会場改札ゲート間にもう一つ柵があり、そこが未だ開かない。思っていた通り、入場客は少く、私の前には100人位しかいない。黒竜江省から来た家族と話をした。

 8時半に第一関門であるこの門が開き、改札ゲートに人々が殺到する。再び、そこで待たされること一時間余り。

ここでも周りの人と会話練習。午前9時前 改札が始まる。ここで、持ってきた飲料を全部飲み干した。愛知万博と同じく飲料の持ち込みの禁止がされていたからだ。 改札の前に手荷物のX線検査、検査ゲートをくぐり、台の上に立たされ、係員による再検査は空港と同じだが、兎に角時間が掛かる。

検査OKとなってやっと改札。改札が終わるとみんな猛ダッシュで目当てのパビリオンを目指して走る、走る。大阪万博時これを外国人記者が「バッファロー・ダッシュ」と言っていた。さしずめ「パンダ・ダッシュ」か?パンダって走りましたケッ??

  今回一番興味があったのが、トイレでした。会場内のトイレの設置は充分に行き届いています。男女別とは別に、混雑時用に対応出来る共用トイレもありました。始まったばかりなで当たり前のことですが、きれいで、係員が絶えず掃除をしていました。トイレットペーパーの設置は確認しませんでしたが、使用後の紙はゴミ箱に入れる中国式でした。

  パビリオンは各国それぞれの独自の設計になっていて、愛知万博のような、大、小のダンボールを並べた無粋な建物の様なことはありませんでした。 会場総面積も広いこともあってパビリオン間のスペースも充分にありますが、大阪万博で見せた、おもちゃ箱をひっくり返した時の様なワクワク感はなかったです。 中国の報道とのは違い、各国パビリオンの準備が未だ出来ておらず、入館できなかったり、開店休業状態のところも数多かったです。各国のアテンダントの数も少なく、殆どが中国人スタッフでした。又、愛知万博時には各パビリオンにレストラン、バーが隣接されていて、当時 万国ビール飲み比べのツアーをしましたが、上海万博はそれらの機会は少ないようです。

  日本の報道では入場者数20万人となっていますが、中国の報道では25万人です。やはりチャイナ・クオリティが出ています。
各パビリオンとも入場者の列が長く続いていて、そう簡単にはお目当てのパビリオンの参観は出来ません。私が知る限りでは、この日、中国館と台湾館が予約制になっていて、予約券が配られたようです。会場内には、数箇所、入場予約の出来る機会が設置されていました。私も予約機を試しましたが、予約出来るのは人気がなさそうなパビリオンでした。

  私は当初 列を作って並ぶことに慣れていない中国人にとって、今日はトラブルが多く発生すると思っていましたが、今日、見る限りに至っては、極めて少なかったのが期待外れでした。並んでいる時、何人かの人と話しましたが、多くは中国遠方からの観光客でした。つまり、彼等は相当のお金持ちで、それなりの教育を受け、礼儀もわきまえているのではと分析しました。連休以降はどうなることや・・・

  大阪万博の時 トイレで私の前に割り込んだおっさんがいました。おっさんの背中にはxx農協のゼッケンがありました。「コラ!農協割り込むな!」と言って気がついたら私の周りは皆農協で、四面楚歌状態でした。当時日本の農協の人達はお金持ちでしたが、教養がなく、礼儀知らずで、「やるパック海外旅行」で随分顰蹙を買いましたね。日本人も列を作って並ぶことを覚えたのは、この大阪万博だったと思います。

 南方電視台からの取材を受けました。少し焦りましたが、全部中国語で対応が出来ました。

 時計をもっていなかったので、時間を聞いたら、日本人でした。彼女は日本の某TV局の取材クルーの一員でした。これも取材を受けました。

帰りの交通機関の心配もあり、午後8時に会場を後にしましたが、劉備玄徳の馬鹿息子の劉禅の如く“乐不思蜀”な一日でした。


 パビリオンの状況は明日に つ・づ・く